独眼竜の野望
小田原の陣

仙石秀久(せんごく ひでひさ)

レベル:数

65:3

家紋

豊臣

戦闘開始時セリフ

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構成

名前職業レベル初期付与使用技
仙石秀久槍鍛冶65戸次川の汚名熱血肉弾丸徹甲拳迅速破砕撃、反撃術、守護術
鈴鳴り従者二刀侍63八箇必勝一所懸命全体看破霧散霧消、気合削り、守護術
旗持ち従者槍傾奇63反射結界天地人天衣無縫・改、各種槌舞意気衝天・四矛無しの睨み、闘魂術

特徴

生息地域

ドロップアイテム

列伝

仙石秀久(せんごく ひでひさ)
1552-1614 はじめ斎藤龍興に仕え、斎藤氏滅亡後は羽柴秀吉の家臣となった。
姉川の戦いや秀吉の中国攻略に従軍。山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いでは淡路・四国方面で活躍し、淡路洲本5万石、その後、讃岐高松10万石を与えられた。
1586年、九州の役が始まると、十河存保長宗我部元親信親父子らの軍監として九州に渡海する。しかし、功に焦って無謀な作戦を立ててしまい、戸次川の戦いでは島津家久に大敗。長宗我部信親や十河存保らが戦死してしまう。さらに、自らは諸将を差し置いて讃岐へ逃げ帰ったため、戦後改易され、高野山へ追放された。
1590年、小田原の陣では徳川家康の斡旋により、陣借りという形で秀吉の軍に加わり、伊豆山中城攻めや小田原城早川口攻めで大いに武功を挙げた。
この時秀久は鈴を陣羽織一面に縫いつけるという際立つ格好をして合戦に参加したことから、「鈴鳴り武者」の異名をとった。また、箱根にある地名「仙石原」は、秀久の奮闘の地であったことを記念して付けられたといわれる。
この功績により、秀久は信濃小諸に5万石を得て、大名として復帰した。
秀吉死後は、家康に接近し、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従軍して上田城攻めに参加した。戦後は秀忠遅参についての謝罪に努めたため、秀忠の将軍就任後、特に重用された。
1614年に病死。享年63。

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