[[織田家]]
*佐久間信盛 [#jebb575c]

**レベル:数 [#c76333c8]
75:7

**職業 [#x0448915]
侍

**戦闘開始時セリフ[#emaq2019]
 ○○○○……?
 あの有名な?! いや、
 まさかこの貧相な奴が……。

 ○○○○!勝負だ!
 織田家では二度の敗北は
 許されぬのじゃ!

 まったく我が殿にも困った
 ものよ。家臣を道具のように
 は!?お主聞いたか!?

**構成 [#cfff6eda]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|佐久間信盛|鉄砲侍|60||[[天下布武]]、[[沈黙の霧・壱]]、[[蘇生の秘薬]]、守護術|
|佐久間正勝|薬師|55|再生|[[蘇生・壱]]、[[完全治療]]|
|万松寺高僧|槍僧|55|反射結界|[[完全回復]]|
|織田方士隊|懐剣陰陽|55|結界||
|熱田神宮神官|剣神主|55||[[詠唱の韻・極]]|
|佐々鉄砲練達|鉄砲鍛冶|55||守護術|
|秋葉流中忍|懐剣二刀忍者|55|||

**特徴 [#zc4e54e1]
//-1のつるべ撃ちは後衛で2500-3000程度(防御920で2600ダメ)

**ドロップアイテム [#d5849b81]
-[[佐久間筋兜]]
-[[佐久間当世具足]]
-[[三つ引両本旗印]]

**列伝 [#tf9a29d4]
:佐久間信盛|
[[織田>織田家]]家臣。信秀、[[信長>織田信長]]と二代に仕えた人物。出羽介、右衛門尉。1528年の生まれとされる。~
佐久間氏は三浦氏の一族が安房国狭隈(さくま)郷に寄ったのが始まりとされる。三浦氏は桓武平氏庶流であるため、佐久間も平氏に属しているとしていた。後に[[尾張]]国愛知郡御器所に移り、戦国時代に至る。~
信盛は信長がまだ大うつけと考えられていたころに起きた[[信行>織田信行]]との内部争いにおいて、[[柴田勝家]]らが信行側につく中、信長支持を貫いた。このことから信長に重用され家臣団でも高い地位を与えられる。その後も信長に一貫して従い、各地に従軍する。~
しかし、信行方についていた柴田勝家、将軍家との縁で仕官した[[明智光秀]]、農民から成り上がってきた[[羽柴秀吉]]などの優秀な人材が家中に増えるにしたがってその地位は相対的に低下、また信長も信盛を次第に軽視していくようになる。~
1573年に[[徳川家]]と[[武田家]]の間で起きた[[三方ヶ原]]の戦いでは、[[滝川一益]]らとともに援軍に赴くが、武田勢とは数の面からでも劣勢であり、ほとんど戦わずに撤退する(まともにぶつかった平手汎秀は討ち死に)。なお、後年追放された際にこのことも信長から追及されている(ただし、同じく早々に撤退した滝川一益はこのことについて何の叱責も受けていない)。~
1576年からは[[本願寺]]の本拠地である石山本願寺(現大阪城)の攻略に着手するが、遅々として進まず、結局1580年に[[本願寺]]と織田家は和睦(実質的には本願寺の降伏)し、最後まで攻め落とすことは出来なかった。そのこともあり信長は佐久間信盛に19ヶ条の折檻状とよばれる徹底的なくしあげを行い、[[林秀貞>林通勝]]らとともに追放した。その中身は先に言った三方ヶ原での撤退のほか、領地経営が悪い、戦働きもろくにしていないといった信盛自身の能力に対する非難に加え、羽柴秀吉や柴田勝家に比べて功績が少ない、とも非難されている。~
その後は、信長に隠棲でもするように言われた高野山からも追い出され、あちこちをさまよった挙句1582年に[[紀伊]]にて死去した。~

:佐久間正勝|

//いちおうちゃんとした形の物を作ってみました。

**その他情報 [#d5a7bfdf]

#comment

トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS