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[[三好家]]~
[[摂津和泉武将一覧]]
*&ruby(マツナガ ヒサヒデ){松永久秀}; [#n4ed211d]
**レベル:数 [#pa5fdc86]
68:7
**職業 [#c8964940]
陰陽師
**配置 [#a9f48e39]
軍師
**タイプ [#dfac6b01]
茶人
**戦闘開始時セリフ [#n131e595]
ふん! 平蜘蛛釜を渡すと
思うか? 天下の名器よ。
お主などには似合わぬよ!
ほう、わしを知っておるか。
はっはっは! どうせ悪評で
あろう? では参ろうか!
**徒党構成 [#hd8c4a4e]
|>|>|>|CENTER:||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期状態|~主な使用技能|
|松永久秀|懐剣陰陽|68|&color(orange){▲};&color(gray){▲};&br;反射結界|''[[反乱の謀計]]'' [[狂風・弐]] [[迅雷・弐]] [[術法剣・改]] [[蘇生・壱]]|
|淡路管の猛者|鉄砲鍛冶|65||[[蘇生・壱]]、守護術|
|大峰奥駈行者|錫杖薬師|65|再生|[[蘇生・壱]]|
|松永長頼|槍侍|65||[[一所懸命]]、守護術|
|野間左橘兵衛|懐剣神主|65|反射結界|[[詠唱の韻・極]] [[明神閃]]|
|楠流くノ一|懐剣二刀忍者|65||[[結界破り・改]]|
|興福寺高僧|薙刀僧|65|反射結界|[[紅蓮法輪]]|
**部隊アイテム [#v340d9d1]
-[[揚羽蝶旗印]]
**ドロップアイテム [#t1b43880]
-[[揚羽蝶本旗印]]
-[[平蜘蛛釜]]
**特徴 [#ib4e491e]
:[[反乱の謀計]]|強力な全体魅了。
**大決戦伝令 [#o6522ec4]
**拠点戦台詞 [#s798d12a]
***出撃時 [#f8a1e883]
#ref(松永久秀_拠点戦(出撃)_01.jpg)
***占拠時 [#j7fb0b57]
#ref(松永久秀_拠点戦(占拠)_01.jpg)
**列伝 [#weafc3bf]
:松永久秀|
前半生は謎に包まれており生年は不明(1510年ごろの生まれの説があるが確証はない)。弾正忠、山城守、弾正少弼。出自は阿波、[[摂津>摂津和泉]]、[[山城]]の説があるが[[山城]]西岡説がもっとも有力。~
~
[[三好長慶]]の被官により[[三好>三好家]]政権内の重鎮となる。しかし槍働きは弟の長頼のほうが優れており、権勢を振るうことができたのは弟の武略によるところが大きい。~
1556年、[[摂津>摂津和泉]]滝山城主となる。このころには訴訟取次を行っていた記録が残されている。~
1559年には[[大和]]に乱入し、当時支配を行っていた興福寺僧官の出である[[筒井順慶]]を蹴落とし、[[大和]]国信貴山城となり、翌年には[[大和]]をほぼ支配し多聞山城を築く。~
~
1562年、畠山氏との争いで主君[[長慶>三好長慶]]が窮地に陥るとこれを守護、さらに河内での戦いで畠山軍を大敗させた功により[[三好>三好長慶]]政権の中心的存在になる。その後[[長慶>三好長慶]]の嫡子[[義興>三好長慶]]が病死する。このころから梟雄として徐々に頭角を現してくる。~
[[長慶>三好長慶]]の弟である[[安宅冬康]]を諫言により[[長慶>三好長慶]]に殺させ、さらには以前より[[長慶>三好長慶]]と軋轢のあった三好三人衆と組んで[[三好>三好家]]政権を内部より崩壊させる。
~
主君であった[[長慶>三好長慶]]の死後、三好三人衆とともに将軍[[足利義輝]]を攻めこれを自害に追い込む。このころから三好三人衆との関係が悪化し、政権内での抗争を繰り広げ、ついには東大寺大仏殿に火を放つ。~
~
1568年になると畿内の情勢は一気に変わることとなる。[[信長>織田信長]]の台頭である。これに久秀は降伏、所領である[[大和]]を安堵される。~
しかし1571年に入ると[[武田信玄]]に通じる。5月、[[信長>織田信長]]に反旗を翻すが、8月には失地回復に燃え、[[大和]]に再び戻ってきた[[筒井順慶]]が辰市に城を築く。これに対して出兵した辰市の戦いで大敗。~
この後[[筒井>筒井順慶]]氏に押され、筒井城を明け渡したのち、高田城といった松永方の多くの城を落とされ、劣勢に立たされていった上、河内方面には[[明智>明智光秀]]などの[[織田家]]譜代が出陣して松永を追い詰めていった。~
1572年には相次ぐ大地震が[[大和]]を襲うが、その中で松永はついに多聞山城に籠城、1573年初頭に名刀、不動国行を[[信長>織田信長]]に献上、恭順する(この一連の戦いで、彼は軍才については決して高くないことを露呈しており、どちらかといえば文官型人物であったことが伺える)。~
しかし、その後の[[足利義昭]]と[[信長>織田信長]]の対立では、[[義昭>足利義昭]]側についていたようで、多聞山城付近にも[[信長>織田信長]]方が乱入することになる。~
多聞山城にこもり抵抗するが、12月に降伏、再び[[大和]]を安堵される。この仕置からも[[信長>織田信長]]が久秀の才を買っていたことが伺える。ただし多聞山城は没収されている。~
1575年、突然に[[大和]]守護職を失う(かつて自身が追い落とした[[筒井順慶]]が裏におり、巻き返しを図ったと考えられる)。これにより松永は一国の太守から一武将に落ちてしまう。~
~
1576年は石山[[本願寺]]との抗争に[[信長>織田信長]]方として参加していたが、その最中に[[上杉謙信]]や毛利、[[本願寺]]と交渉をしていたようである。~
1577年、再び[[信長>織田信長]]に対して反旗を翻すも、[[信長]]の軍事力にはかなわず、名器[[平蜘蛛茶釜>平蜘蛛釜]]を渡すという降伏条件を拒否し、[[平蜘蛛茶釜>平蜘蛛釜]]を抱き火中に飛び込み戦死。奇しくも東大寺に火を放った日からちょうど10年たった同日の10月10日のことであった。~
~
[[ルイスフロイス>九州三国志]]は彼を狡猾と評し(一方で天下の支配者、と評しており、能力は高く評価していたようである)、また後世では乱世の梟雄の代表となっている。しかし誇張された部分も非常に多い。東大寺大仏殿の件は火矢の火が移ったためで意図的ではないという説がある。~
また、誇張の可能性が高いため、上では記述しなかったが、[[十河一存]]、[[三好義興>三好長慶]]が彼の暗殺であるという説も、単なる病死という説がある([[三好長慶]]の死にもかかわっているという説があるが、これは誇張の可能性がさらに高い)。東大寺についていうと、松永がやったとしているのは[[信長公記]]や佐久間軍記といった「[[信長>織田信長]]側」の資料であり、[[大和記]]には「[[三好>三好家]]勢が大仏殿を本陣にしたため、そこを夜襲した松永勢の火矢が燃え移った」ともある上、[[フロイス日本史]]には、一キリシタン足軽の放火であり松永は関与していないとする(先述したように[[ルイスフロイス>九州三国志]]は彼を狡猾と評しているため、狡猾の体現ともいえる東大寺炎上について、彼のせいではないとしているのは興味深いといえる)。ほかの[[大和]]側の資料も、同様である。~
~
彼は、実際は立振舞が優雅であり、教養人でもあったとされている。実像を探る際には注意の必要な人物であろう。~
:松永長頼|
:野間左橘兵衛|
:淡路管|
淡路で水軍を率いる一族、菅(かん)家のことか。[[三好家]]の兵士NPCに含まれる徒党員は「[[淡路''菅''水軍>金房一派]]」となっているが、武将NPCに含まれる徒党員は「淡路''管''の〜」となっている。
**その他情報 [#k37f9c23]
- 1術法剣・改、5明神閃使ってきました。5は僧技能を一切使ってきませんでした。 -- &new{2009-05-30 (土) 10:09:16};
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