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[[近江武将一覧]]
*&ruby(カタギリ カツモト){片桐且元}; [#g7b206b4]
#ref(片桐且元_全身_01.jpg,center)
**レベル:数 [#m6185a5f]
65:7
**合戦配置陣 [#u46241a4]
先鋒
**タイプ [#b1bc0655]
勇将
**戦闘開始時セリフ [#fb5a2a89]
○○○○? なぜか
お主とは、これからたびたび
顔を合わせる気がするな。
○○○○!
前回は情けで、お主に勝ちを
譲ったが今日はわしが勝つ!
わしとて常に主家の安泰を
願って粉骨砕身しておるわ!
今はお主を倒させてもらう!
**構成 [#r08e75f4]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期状態|~使用技能|
|片桐且元|槍侍|50||[[賤ヶ岳の勇槍]]、[[連撃]]、[[三>三連撃・改]]〜[[五連撃・改]]、[[大音声]]、[[霧散霧消]]、[[一所懸命]]、[[全体看破・弐]]、[[蘇生・壱]]、守護術|
|甲賀下忍|懐剣二刀忍者|45||[[五連撃]]、[[暗殺乱舞]]、[[瞬殺閃]]、[[手裏剣乱射]]、[[朧の術]]、[[幻霧]]、各種遁術・改|
|福田寺僧兵|槍僧|45||[[僧兵連撃・改]]、[[全体回復・参]]、[[全体完全回復]]、[[凍気・参]]、[[冥護結界・弐]]|
|甲賀幻術師|懐剣陰陽|45||[[万雷]]、[[煉獄]]、[[焦熱]]、[[呪縛・参]]、[[気合呪霧・参]]、[[結界・参]]|
|竹生島雅楽隊|懐剣巫女|45||[[詠唱の韻・極]]、[[攻撃の韻・参]]、[[気合の韻・参]]、[[明神閃]]、[[嵐撃・参]]、[[子守歌]]、[[まどろみの唄]]、[[神の加護・参]]、[[全体解呪・弐]]|
|小谷鍛冶衆|刀鍛冶|45||[[怒号]]、[[迅速破砕撃]]、[[四連撃・改]]、[[五連撃]]、[[仕掛け鎧・参]]、守護術|
|近江山伏|薙刀薬師|45||[[蘇生・壱]]、[[全体治療・参]]、[[完全治療]]|
**特徴 [#f35d4566]
-争覇の章より、武器が弓から槍に変更。
**部隊アイテム [#u6376b90]
-[[手柄取]]
**ドロップアイテム [#lafdafc9]
-[[御首頂戴仕]]
-[[三日月熊毛植兜]]
**大決戦伝令 [#s0bdf012]
#ref(片桐且元_大決戦_01.jpg)
**列伝 [#k36106bf]
[[賤ヶ岳]]の七本槍の一人。直倫、直盛、且盛。助作、市正。東市正。片桐直政の子。1556年の生まれ。~
~
片桐家は清和天皇から出でる清和源氏を祖とする源満政の子孫であるとされる。~
最初父とともに[[浅井家]]に仕えるものの、1573年に浅井家は滅亡したため、その旧領を任された[[羽柴秀吉]]に仕えることになる。~
~
1583年には賤ヶ岳にて戦功を上げ七本槍の一人として喧伝され、3000石を加増され、播磨国に1万石を領する。~
しかし、彼の場合は九州征討や[[小田原の役>小田原の陣]]、朝鮮出兵にも参加しているものの、これ以降加増はなく、主に秀吉側近として政務に携わることになる。~
そしてまず羽柴姓、ついで豊臣姓を名乗ることを許される。羽柴姓を賜ったのは主に秀吉の信頼の厚い人物であり、且元の地位が伺える。~
彼が歴史の表舞台にでるのは秀吉の死後、秀頼の傅役として政務に携わるようになってからである。彼は家老として豊臣家の総務、財政を担当する。~
~
1600年の[[関ヶ原の戦い>関ヶ原の陣]]で豊臣方を支持する西軍が敗北すると、[[家康>徳川家康]]から[[大和]]竜田に二万八千石を与えらる。このころから秀頼、家康の二重の主君の間を取り持つようになる。豊臣家では家老として、幕府では奉行人として差配にあたる。~
彼は秀頼をよく補佐し、豊臣徳川両者の関係を必死に保とうとした。豊臣家が1615年まで存続できたのは、失地回復を考え交戦論を持っていた[[大野治長]]や淀殿を抑えていた彼の働きが非常に大きい。~
~
彼は両家の更なる友好と継続のため、方広寺の再興に携わる。しかしこの方広寺の鐘銘が[[大坂]]の陣へと発展してしまう。~
且元は弁明のために和平交渉に奔走する。しかしこれは且元を筆頭とする、臣従してでも存続を図ろうとする和平派と、大野治長や淀殿が押す、臣従を拒否して交戦する交戦派との対立を引き起こす。結局彼は家康方への内通を疑われ、大坂退城をすることになる。~
これは彼の使命の終わりを意味していた。大坂の陣では家康側に味方し、1615年に大坂城が落城した後、加増され4万石を得る。しかし、その20日後に彼は死亡する。~
死因は病死とされているものの、切腹説も強い。当時切腹は幕府に対する批判であり、発覚すれば問題となるため、家としては絶対に隠さなければならないことだったためである。~
~
彼はまさに豊臣家の存続を天命として生き続けた人物であった。豊臣の存続を望む考えは同じであっても、その方向性の違う和平派と交戦派との軋轢によって天命を失った悲運の人生であった。
**その他情報 [#t2135891]
-桐の一葉に我が影を秘す。 -- [[東西戦での戦闘開始時セリフ]] &new{2006-06-20 (火) 16:01:46};
- 武器が槍になってました、単体物理近接固有技持ち -- [[紫電遊撃隊]] &new{2007-07-07 (土) 07:46:58};
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